介護が仕事の原点

大正6年生まれの主人の義母はとてもしっかりした人でしたが、80歳を過ぎた頃から足が弱り、又、まだら呆けも時々見られるようになった頃、我が家で一緒に住む事になりました。85歳の誕生日を迎えた頃からいよいよ歩けなくなり、ベッドでの生活になりました。
私はボランティアで忙しくしていましたが、義母の介護をしながら地域との繋がりを続けていました。介護とは無縁の生活を長くしていたので、どの様に義母に接したら良いのか解らず随分悩んだ物でした。最初はきちんと出来ていた会話も、4年、5年と長くなってくると時々愚痴になり、大きな声をだして叱る様にもなりました。そんな自分が嫌になり、それなら話さなければいいんだと無口にもなりました。
ショート入所する義母をおぶって寝室から連れ出し車に乗せる、お風呂に入る義母をおぶって浴室迄連れて行く、(勿論その時の私はバスタオルで身体を隠してはいるが裸姿)そんな一生懸命さで自分がやらねばと頑張っていました。排泄に失敗した義母に思わず手が出てしまった事もあり、すまない事をしてしまっていたと悔いがありました。
そんな義母も他界をし、何だか心にポッカリ穴が開いてしまっていた頃、何気なく見た広告にヘルパー2級の資格についての記事が載っており、終末期の義母にあんな態度しかとれなかったけれど、他人様にはもう少し優しい気持ちで接する事が出来るかもしれないと思い、資格を取る事にしました。
そして実習に赴いた先が中心会の老人ホームでした。痴呆症の高齢の方が一人一人様々な行動をとっているにもかかわらず、優しい眼差しや言動で誇りを持って働く職員の皆さんの姿に感激をしたのを覚えています。
私も縁があって中心会の訪問ヘルパーとなり、やっと1年が過ぎた所ですが、これからも初心忘るべからず!サービス提供責任者の方々に介護のノウハウを教えて頂きながら、自分自身のスキルを上げ利用者の方々に喜んでいただけるヘルパーを目指して、努力していきたいとおもいます。
二ノ宮 要子