災害派遣後の報告

岩手県災害地派遣報告
                          えびな北高齢者施設/藤村 淳
3/11の東日本大震災で岩手県は甚大な被害を受けました。岩手県社協は被災地の社会福祉施設等が必要としている支援内容について把握する為に訪問調査を実施することとし、全社協を通じて全国の社会福祉法人へ協力要請がありました。その結果、今回は私たち中心会を含め4つの法人から其々2名ずつ、3/26~4/1の間に現地へ訪問調査に向かいました。以下、その活動内容を日別に報告します。
3/26
 盛岡の岩手県社協にて先に派遣されていた渡辺職員と合流。他の3法人の方も含めミーティング、中心会は久慈ブロックの調査担当となりました。(他の法人は其々、宮古、釜石、大船渡の各ブロックを担当)
3/27
 現地へ出発。久慈ブロック(久慈市、野田村、普代村、田野畑村、岩泉町)の各災害対策本部へ行き現地施設へ直接訪問調査することを伝えました。久慈市は比較的被害は少なくライフラインも問題ありませんしたが、野田村は沿岸部の市街地は壊滅状態で未だ電話も通じず混乱した様子でした。
野田村役場にがれきの中から出てきたアルバムを集めた一角がありました。見渡す限りがれきの荒野のそこかしこに、それまで普通の暮らしがあったことを泥のついた写真は語りかけてくるようで涙が出る思いでした。
3/28
  岩泉町、田野畑村の高齢者施設、保育所、障害者施設10件を現地調査で訪問しました。高齢者の入所施設4ヶ所では、定員を超えて2~9名の被災した在宅高齢者を受け入れていました。あるデイサービスでは4月より14名を受け入れて宿泊施設となる為、外部の介護職員の応援はありがたい、とのことでした。
今回調査した地域では、利用者・職員ともに亡くなった人はいませんでした、家が流された職員はどの施設でも1~2名はいるようでした。
3/29
野田、田野畑、普代の各村の施設9か所を聞き取り調査で訪問しました。野田村では保育所丸ごと流された所もありましたが、子供たちは全員避難して無事だったとのこと。90名もの子供たちを一人も欠けることなく避難させられることが出来たことに日頃の防災意識の高さと防災訓練の重要性を感じさせられました。
グループホームが丸ごと流された(入居者は全員無事)法人もありましたが、入居者は他施設へすでに移動しており人的支援のニーズは薄いとのことでした。(被災者の受け入れをしている他施設でも、職員が無事だったこと受け入れ人数が少ない(数名程度)ことから現状人手は足りている、との回答が多くありました)
 そんな中で小さな障害者通所施設が営業中止して20人もの一般非難者を受け入れており「これからどうしようか…」と園長が途方に暮れた様子でした。こういった所への支援の必要性も感じました。
3/30
久慈市の施設、保育所等を15件ほど聞き取り調査。
ある保育所の園長先生が「家も舟も流され保育料も払えないからと逆に保育所の子供が減っている。これでは先生たちも雇えない。そちらの支援もお願いしたい」と涙ながらに話されたことが印象に残りました。
また「津波の恐怖でデイサービスに通うことを怖がるお年寄りがいる」ことも聞きました。こういった方への心のケアもこれから大切なのだと感じました。
3/31
 午前中は久慈市の残った施設を訪問し、盛岡へ。16:30より岩手県社協内でミーティング、他ブロックの報告を聞きました。
  他ブロックは被災状況も酷く聞き取り調査も苦労した様子でした。がれきで車がパンクしたり、不審者が多い中ガソリン泥棒扱いされ話もできない地域もあったようです。
 また「津波警報を聞いた職員が入居者を放り出して全員逃げ出してしまった施設があった」との報告にはショックを受け考えさせられました。普段から入居者を守ることについてどうしたらよいか皆で考えていきたいと思います。
 今回中心会が担当した久慈ブロックは比較的被害が少なかったとはいえ、どの高齢者施設も定員を数名程度超えて被災したお年寄りを受け入れていました。今は何とか人手をやりくりできているが、さらなる受け入れとなると人的支援ニーズは大きくなると感じました。陸前高田市など被害が大きい所のニーズが大きいのは確実です。
是非、災害地派遣に参加を申し出てもらい皆で支えあっていければ良いと思います。
最後に、災害地派遣に行くにあたり「えびな北のご利用者のことは心配しないで」と送り出して下さった上司、同僚、部下に感謝します。おかげで安心して現地で活動できました。
 
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災害地派遣
                       
                         えびな北高齢者施設/渡辺健司 
私は3月22日から4月1日まで11日間、全国社会福祉協議会の岩手県社会福祉施設現地ニーズ調査隊の一員として活動をしてきました。今回の施設調査の趣旨は、岩手県の被災した沿岸部の福祉施設を直接訪問し、定員超過で受け入れをしている利用者人数、利用者の被害状況、施設職員の被害状況、建物の被害状況、応援を要する人数について聞き取りをして、全国社会福祉協議会と岩手県社会福祉協議会が協働して行う福祉施設支援プログラムに繋げて、全国的な支援体制を築くことでした。
3月23日に盛岡に到着し、岩手県社会福祉協議会本部に入りました。盛岡はそれほど大きな被害はなく、街の様子は穏やかでしたが、コンビニやスーパーの棚は空っぽで、ガソリンスタンドには神奈川県内の行列とは比べ物にならないほどの大行列ができていました。岩手県社協本部は地域のコミュニティセンターのような所で、被災した沿岸部からの避難所にもなっていました。
到着してすぐに任された仕事は、陸前高田市のボランティアセンターに救援物資と車を届けることでした。陸前高田市は今回の震災では甚大な被害を受けたところで、テレビでもよく報道されていたため、状況は大体知っていましたが、実際に現地に行ってみて愕然としました。360度どこを見ても瓦礫の山と津波で流された後の更地でした。その悲惨な光景は、テレビのように一面的にしか映されない光景とは明らかに違うものでした。
最初の数日は、レンタカーの手配、調査隊の宿の手配、必要物品の準備、調査する施設のリストアップ、ルート確認等の事前準備を手伝い、3月27日から調査が始まりました。私と藤村補佐の担当は、岩手県の北部沿岸部の久慈市、野田村、田野畑村、普代村、岩泉町の福祉施設(高齢者施設、障がい者施設、保育園)でした。久慈市がそれほど大きな被害がなかったため、久慈のホテルを拠点にして、日中、車で施設をしらみつぶしに回りました。岩手県は3月下旬でもとても寒く、早朝は路面が凍結していたり、雪道であったりするため、運転にはとにかく気を遣いました。
31日までの5日間で、全部で30超の施設を訪問しましたが、ある高齢者施設では、14人ほど定員を超過して高齢者を受け入れる予定があり、とても今いる職員だけでは対応できない、との話があり、人材派遣の話をすると、とても興味をもってくださり、岩手県社協の支援プログラムに繋がりました。
私は今回の震災での東北の被災状況をテレビで見ていて、何でもいいから何か自分に支援できることはないかと思っていました。被災され亡くなられた方たちの6割ほどが65歳以上の方だと新聞の記事でありました。亡くなったお年寄りや子どもが、もし自分の祖父母や、自分の子どもだったら、と考えたら、家族を失った方たちの心痛は計り知れないものではないかと思いました。中心会で、人材派遣のための希望者を募るとの話を所長から聞き、すぐに希望しました。
どんな仕事をしていても被災された方たちのためにできることはあるとは思いますが、直接現地に行って、本当に困っている福祉施設のために働けるというのは、自分にとってとても貴重な経験になったと思います。調査で回った野田村で、津波で丸ごと施設を失った保育園がありました。園児は皆避難して無事でしたが、建物が無いため近くの公民館で運営していました。そこの園長先生は、とにかく今はがんばるしかない、と気丈に話をされ、自分の役割をしっかりと認識されていました。被災地で働いてらっしゃる現地の方々は、皆自分自身も何らかの被害を受けているにも関わらず、それぞれが自分の持ち場を離れることなく、自分の役割を全うしているように見えました。こんな大変な時だからこそ、普段自分がしている仕事の大切さを再認識されているのではないかと思いました。私も今回の調査活動で、本当に困っている方や、行き場のない方たちを見て、普段施設で自分がしている仕事の大切さを再認識することができました。この仕事をしていて良かったと思います。
3月31日に、盛岡の岩手県社協に戻り、各ブロックの担当者ごとに調査の結果報告をしました。最後に岩手県社協の福祉経営支援課の方から話がありました。その中で、
「岩手のためにご協力いただいて本当にありがとうございました。このご恩は一生忘れません」と話されていました。
私もその言葉を一生忘れることはないと思います。