被災地での調査活動

被災地での調査活動
私は3月22日から4月1日まで11日間、全国社会福祉協議会の岩手県社会福祉施設現地ニーズ調査隊の一員として活動をしてきました。今回の施設調査の趣旨は、岩手県の被災した沿岸部の福祉施設を直接訪問し、定員超過で受け入れをしている利用者人数、利用者の被害状況、施設職員の被害状況、建物の被害状況、応援を要する人数について聞き取りをして、全国社会福祉協議会と岩手県社会福祉協議会が協働して行う福祉施設支援プログラムに繋げて、全国的な支援体制を築くことでした。
3月23日に盛岡に到着し、岩手県社会福祉協議会本部に入りました。盛岡はそれほど大きな被害はなく、街の様子は穏やかでしたが、コンビニやスーパーの棚は空っぽで、ガソリンスタンドには神奈川県内の行列とは比べ物にならないほどの大行列ができていました。岩手県社協本部は地域のコミュニティセンターのような所で、被災した沿岸部からの避難所にもなっていました。
到着してすぐに任された仕事は、陸前高田市のボランティアセンターに救援物資と車を届けることでした。陸前高田市は今回の震災では甚大な被害を受けたところで、テレビでもよく報道されていたため、状況は大体知っていましたが、実際に現地に行ってみて愕然としました。360度どこを見ても瓦礫の山と津波で流された後の更地でした。その悲惨な光景は、テレビのように一面的にしか映されない光景とは明らかに違うものでした。
最初の数日は、レンタカーの手配、調査隊の宿の手配、必要物品の準備、調査する施設のリストアップ、ルート確認等の事前準備を手伝い、3月27日から調査が始まりました。私と藤村補佐の担当は、岩手県の北部沿岸部の久慈市、野田村、田野畑村、普代村、岩泉町の福祉施設(高齢者施設、障がい者施設、保育園)でした。久慈市がそれほど大きな被害がなかったため、久慈のホテルを拠点にして、日中、車で施設をしらみつぶしに回りました。岩手県は3月下旬でもとても寒く、早朝は路面が凍結していたり、雪道であったりするため、運転にはとにかく気を遣いました。
31日までの5日間で、全部で30超の施設を訪問しましたが、ある高齢者施設では、14人ほど定員を超過して高齢者を受け入れる予定があり、とても今いる職員だけでは対応できない、との話があり、人材派遣の話をすると、とても興味をもってくださり、岩手県社協の支援プログラムに繋がりました。
私は今回の震災での東北の被災状況をテレビで見ていて、何でもいいから何か自分に支援できることはないかと思っていました。被災され亡くなられた方たちの6割ほどが65歳以上の方だと新聞の記事でありました。亡くなったお年寄りや子どもが、もし自分の祖父母や、自分の子どもだったら、と考えたら、家族を失った方たちの心痛は計り知れないものではないかと思いました。中心会で、人材派遣のための希望者を募るとの話を所長から聞き、すぐに希望しました。
どんな仕事をしていても被災された方たちのためにできることはあるとは思いますが、直接現地に行って、本当に困っている福祉施設のために働けるというのは、自分にとってとても貴重な経験になったと思います。調査で回った野田村で、津波で丸ごと施設を失った保育園がありました。園児は皆避難して無事でしたが、建物が無いため近くの公民館で運営していました。そこの園長先生は、とにかく今はがんばるしかない、と気丈に話をされ、自分の役割をしっかりと認識されていました。被災地で働いてらっしゃる現地の方々は、皆自分自身も何らかの被害を受けているにも関わらず、それぞれが自分の持ち場を離れることなく、自分の役割を全うしているように見えました。こんな大変な時だからこそ、普段自分がしている仕事の大切さを再認識されているのではないかと思いました。私も今回の調査活動で、本当に困っている方や、行き場のない方たちを見て、普段施設で自分がしている仕事の大切さを再認識することができました。この仕事をしていて良かったと思います。
3月31日に、盛岡の岩手県社協に戻り、各ブロックの担当者ごとに調査の結果報告をしました。最後に岩手県社協の福祉経営支援課の方から話がありました。その中で、
「岩手のためにご協力いただいて本当にありがとうございました。このご恩は一生忘れません」と話されていました。
私もその言葉を一生忘れることはないと思います。